怒りと執着にとらわれ、自分を苦しめていませんか?
私自身少し頑固なところがあり、
ストレスを抱えることが多いタイプです(汗)
でも、「ある考え方」を知ることにより、
怒りや執着にとらわれない生活を送れるのではないか?
と最近思うようになりました。
今回はその考え方と実践法をお届けします!
目次です⇊
なぜ怒りは生まれるのか?
そもそも、他人に対する怒りが生まれる原因は
どこにあるのでしょうか?
それは、
「私は正しい。そして思い通りにならない。」
という気持ちがあるからではないでしょうか。
部下が思い通りに動かない、、、
同僚の仕事が遅い、、、
思っていたより給料が上がらない、、、
自分の考えが正しいと思い、
その通りにならないギャップ。
そこから怒りは生じてしまいます。
ブッダが教える怒りが起こらない考え方
私が今回読んだこちらの本では、
怒りについて以下のように書いています。
しょっちゅう怒る人が、よく口にする文句があります。相手が間違っている、いけないことをしている、良い人間ではない、自分勝手だ、頑固だ、社会性がない…だから怒らずにはいられない、というのです。このような文句は、あまりにも非論理的です。自分の気持ちに合わせて相手が接するならば、人はだれでも怒らないのは当たり前のことです。~中略~世界は自分中心に回ってくれないので、自分が世界を回すしか道はないと思います。(本文から引用)
怒る人は正義感が強いのですが、それゆえに相手に
求めるすぎる。しかし相手は変えることは難しい。
「世直しより、自分直しが肝心」
自分を変えるほうが結局楽なんですよね。
また、こうも書いています。
外に向かって怒る人には、自覚しないで感じている恐ろしいことがあります。それは、「私のせいではない、私は正しい」という気持ちなのです。~中略~いつも他人を批判したり、他人の欠点ばかり見ているので、人間関係が決して楽なものではありません。一人でいても環境に文句を言うので、精神的に苦しむのです。(本文から引用)
耳が痛い言葉ですが。。。真理をついていますね。
怒らないということは、他人の間違い、欠点を理解し、
許す気持ちを持つことです。
しかし、言うは易し、行うは難し、、、ですよね。
もう少し深堀りしてみます。
怒りは「慢」から生まれる
怒りが生まれるのは、心の中に原因があります。
それは仏教用語で「慢」というそうです。
「慢」とは自分を測ること、評価することです。
相手より自分が優れていると評価すれば「高慢」
自分の方が劣っていると評価すれば「卑下慢」
自分も他人も同じだと思えば「同等慢」
いずれも自分を測り、他人と比べることです。
この考えがある限り怒りはなくならないとブッダは教えます。
では、どうすればよいでしょうか?
以下、先ほどの本より引用します。
怒りを退治するためには、慢をなくさなくてはなりません。~中略~「変わらない自分がいるというのは錯覚だ。すべて瞬間瞬間生滅変化しているので、自分という意識も瞬間瞬間変わっていくものだ、実態・我・霊魂・魂と世間で言っている永遠不滅のものはない」と悟らなくてはならないのです。
つまり、
「こうでなければならないと執着せず」
「あるがままを受け入れる」
ということではないでしょうか。
例えば、部下にタメ口をされたらどう思ういますか?
部下の癖に生意気だと思い(高慢)
目上の人には敬語をつかうべき(自分の考えへの執着)
こう思いがちですよね。
でも良い面を見ようとしたら、
その部下は目上の人にも臆することなく
接することできるタフネスの持ち主かもしれません。
自分の考えに執着せず、
相手のよいところに目を向けてみましょう。
そうすれば怒りは沸いてこなく、気持ちが楽になるのでは
ないでしょうか。
怒りは幸福を破壊する〇〇?
最後にブッダの言葉をもう一つ紹介します。
「怒りは幸福を破壊する猛毒」
怒りがわいてきたときは内面に目を向け、
まず自分が怒っていることを観察する。
そして「怒りは猛毒」と心のなかで唱えてみましょう。
怒りが収まってきます。
是非試してみてください。
まとめ
ブッダが教える怒りと執着をなくし幸福になるコツです。
・怒りの原因は「自分が正しい」と思う心
・相手は思う通りにならないので「世直しより、自分直し」を心がける
・自分を測り評価する「慢」の心をなくす。世の中で変わらないものはないので、あるがままを受け入れる
・こうあるべきという「執着」を捨てる
・怒りは猛毒。怒りが沸き起こったときは内面に目を向けそう唱える
ストレスの無い毎日を送るヒントになれば幸いです!
最後までお読みいただきありがとうございました。
☆よければコメントやスターをいただけると励みになります!☆
気持ちが楽になる過去記事です⇊