人付き合い、組織での振る舞いに
気を使いすぎて、疲れていませんか?
今回は、
「いい加減」に振る舞うことで
自由に近づくことができる
ということを考えてみました。
目次です⇊
コーチング説明会で出会った自由すぎる人
勉強のために外に出ると、
思わぬ出会いがあるからおもしろい。
あるコーチング講座の説明会に
参加したときのこと。
説明会といっても、
参加費用が2,000円かかる有料のもの。
当然皆さん本気度が高く、
講師の声には集中して耳を傾けていました。
そんななか、とても自由な男性が一名。
その男性はおそらく30代くらい。
くるぶしが見えるやや短めのチノパンに、
裸足でスリッポンのようなものを履き、
足を大きく投げ出して座っていました。
思わず石田純一かよと心の中で突っ込む。
どこかのリゾート地にでもいるような、くだけた格好で、
その場で浮きまくっていました。
挙げ句のはてには、靴を脱ぎ裸足になる始末。
目立って仕方がなかったのでしょう。
思わず講師も、「〇〇さん、自由ですね~」と
突っ込まざるを得ない存在感を放っていました。
ところが、積極的に発言する
意見や質問の内容がなかなか鋭い。
後に会話したところ、外資系企業で
人事をやっているそうで、当時私が悩んでいた
事柄を質問してみると、とても参考になる
意見をもらえた。
こんな出会いがコロナ禍で少なくなっていることは、
ほんと残念としかいいようがない。
「いい加減」とははしょること
さて、今回書きたいのは、
「いい加減」という言葉についてです。
評論家の竹村健一さんは、以下の著書のなかで「いい加減」
であることを勧めています。少し長いですが、抜粋します。
「自由のある生き方をしようと思ったら、少しははしょらなければならない。
休日に予定していたハイキングを予定通り楽しむには、突然入ってきた部長の
引っ越しの手伝いを、行けないと断らなければならない。
そういうはしょり方をした結果、人から非難されたり、出世に響いたとしても、
それで文句を言ったり、恨んではいけない。だが、家族やガールフレンドと
休日に心行くまで楽しむ自由の価値はもっと大きいはずだ。」
「自由のためにはしょるという言い方をしたが、現実に何かをはしょろうとすれば、
どこがはしょれるか、はしょった結果全体がどう転ぶのかを予期している必要がある。
はしょりどころ、はしょり加減を心得ておくことが、うまくはしょるコツなのである。
これを別の言葉でいえば、「いい加減」を知るということになる。
日本語では、いい加減というと、悪いニュアンスで使うことが多い。しかしいい加減はいいのだ。とくに日本人にとって学ぶところの多い、重要な言葉なのである。」
※全て原文のまま抜粋。
竹村健一さんは、日本人は「いい加減」にはしょることが必要で、
はしょった結果、自由にいられる大切さを語っています。
この言葉を考えたときに、
なぜか、冒頭の男性のことが浮かびました。
その場で異彩を放つ格好が、
彼にとっての「いい加減」であり、はしょりであり、
それにより気持ちは自由でいられたのではないかと思います。
最初は私も、おそらく周囲の参加者も
「なんか変わった人がいるな」
と思ったに違いありません。
しかし、発する言葉は真剣でした。
彼は多くの見知らぬ人が参加する
説明会では「こうあるべき」
という服装をはしょっていましたが、
結果、私たちが感じていた違和感はなくなり、
最後は服装のことなど気にしなくなっていたのです。
本質に関係のない「こうあるべき」にこだわりすぎ、
本質を見落としてしまうことほど意味のない
ことはありません。
「べき論」からの解放=自分らしくあるために
人間関係や、組織の縛りから生ずる
ストレスは絶えません。
多くは自分らしく、自由に振る舞えないことが
原因ではないでしょうか。
しかし、自分が「こうあるべき」と思って
行ってきたことを見直しみると、
はしょれるもの、自由に振る舞っても
問題ないものが結構あるような気がします。
・お付き合いで参加していた気乗りしない会合をはしょってみる
・時間をかけて仕上げていた上司へのメールを簡素化してみる
・着たい服、履きたい靴を履いて職場に行ってみる
実行してみると、案外問題は起きないし、
周りも気にしていないことが
わかったりするんですよね。
裸足でスリッポンを履いて
会社に行くことをおすすめはしませんが(笑)
何か一つでよいので、
疑問を感じながら
日々行っていることをはしょってみましょう。
「べき論」に縛られていた自分を解放し、
一歩自由に近づけるはずです!
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